秋の夕暮れは長いと言ってもさすがに時間が押してくれば薄暗くなるわけで。
学園祭の準備に忙しいリリアンの生徒達も三々五々帰宅の途についていました。
おねむ
「今日は大変だったねー」
マリア様にお祈りをして校門への道すがら。
ちょっと苦笑しつつ、祐巳は隣を歩く瞳子ちゃんへ話しかけた。
「そうですわね。祐巳さまのそそっかしさにも呆れますが…」
かなりぐったりした様子でも、いつもの毒舌は健在な瞳子ちゃん。
原因は、本日の作業も終わりに近づいた頃に発覚した体育館のスケジュール調整ミス。
その修正作業で二人だけ居残りになってしまったのだった。
「ごめんね、瞳子ちゃんにも迷惑かけちゃって」
「いいえ、ちゃんとチェックしなかった私にも責任がありますし…」
瞳子ちゃんは口元に手をやって、あふっと可愛いあくびをしながら答える。
助っ人とはいえ、演劇部との掛け持ちだから、大変さは山百合会メンバーの中でも一、二だろう。
ごめんねと呟きながら、祐巳は少し足元のおぼつかなくなって来た瞳子ちゃんの手を引いてバス停へと向かった。
大半の生徒が帰宅した後であるせいか、バスはさほど混んでいなかった。
祐巳達の他にも居残りしていた生徒が数名乗車してくる。
彼女達は紅薔薇のつぼみに気づいたのか、「ごきげんよう」と挨拶しかけて口をつぐみ、軽く会釈して少し離れた席に腰掛けた。
祐巳もその好意にありがたく会釈して返す。
二人は後ろから二番目の席に仲良く座っていた。
肩に軽く感じる重み。
瞳子ちゃんは席に座るなり、祐巳にもたれるようにして、可愛い寝息をたてていた。
「疲れてるんだね。ごめんね、つきあわせちゃって…」
愛らしい寝顔にそう呟く。
普段は眉をひそめていることが多い瞳子ちゃんだから、この時間は結構貴重だ。
そんなことを考えていたら、急に友人の顔が浮かんできて、祐巳はひとり笑いをしてしまった。
「蔦子さんがいたら、絶対シャッターを切ってるね」って。
バスはコトコト走り、終点のM駅前に間もなく到着という時になっても瞳子ちゃんは目を覚まさなかった。
降りるよと肩を揺すっても、返ってくるのはう〜んという生返事ばかり。
『大丈夫ですか?』
M駅前に着くと、運転手さんが声をかけてきた。
よく登下校時に乗務されている顔見知りの運転手さんだった。
どことなく小笠原家お抱え運転手の松井さんに雰囲気が似ている。
「すいません、疲れているみたいで…」
手伝ってもらって、とりあえずバス停のベンチに座らせる。
まだ発車まで時間があるとのことで様子を見ててもらうことにして、祐巳は家へ電話をかけることにした。
「あ、祐麒? お父さんいるかな? うん、ちょっと事情があって、M駅前まで迎えにきて欲しいの。うん、お願いね」
急いで電話を切って戻ってくると、待っていてくれたのか、運転手さんは軽く手をあげてバスを発車させていった。
パタンとリビングの扉を閉めると三人分の視線が祐巳に集まった。
「どう?」
「うん、良く眠ってる。疲れが溜まってたんだろうね」
とりあえず福沢家に連れて帰り、両親に事情を話して寝かしつけたところだった。
「それで、瞳子ちゃんのお宅は何て?」
「『福沢様のお宅ならこちらも安心ですので、大変申し訳ありませんが、宜しくお願い致します』だって…。」
「祐巳、信頼されてるね」
祐麒が軽くチャチャをいれてくる。
「瞳子ちゃんの場合、どちらかと言ったら柏木さんがらみで、祐麒の方が信頼されてるんじゃない?」
言い返してやると、そんな信頼されたくないと横を向いてしまった。
「お医者様はなんて?」
「疲労と睡眠不足だから心配ないって…」
「とにかく、何かあったらすぐに起しなさい」
そう言いおいてお父さん達は寝室へ戻っていった。
「祐巳もそろそろ部屋に戻れよ、俺はもう少しここにいるから」
「うん、それじゃあおやすみ」
部屋に戻った祐巳はまず瞳子ちゃんの額に手を当てた。
熱がないのを確認すると、ベッドの傍に座ってほっぺをちょんとつつく。
「心配したんだぞ」
微笑んで床に敷いた布団に入る。
明日起きたら瞳子ちゃんがどんな顔をするか、思い浮かべながら。
真夜中……。
ようやく姫にかけられた眠りの魔法が解けたようだった。
目を覚ました瞳子は起き上がって、辺りをきょろきょろと見回す。
茶色い光に映し出される光景は明らかに自分の部屋とは違っていた。
「ここは……祐巳さまのお部屋?!」
現実に驚いて頬がぽぽぽと赤くなる。
どうしようとおたおたしてると、傍らでう〜んと声がして祐巳が目を覚ました。
「あ、瞳子ちゃん。目が覚めた?」
起き上がり、躊躇なく額に当てられた手に驚いて、瞳子がきゃっと後ずさる。
「瞳子ちゃん、顔が赤いよ…熱ある?」
訝しむように祐巳が問い掛けてくる。
「だだだだ大丈夫ですわ…」
布団から目だけを出して答える声はあきらかに動揺の色が混じっていた。
「そうだったんですか……」
ご迷惑をおかけしましたって、瞳子ちゃんはペコリと頭を下げた。
真夜中のリビング。
ちょっとお腹がすいたねということで、二人は夕方祐巳のお母さんが作っておいてくれたサンドイッチをつまんでいた。
ちょっと恥ずかしそうに、両手で持ったカップに口をつける瞳子ちゃん。
中身はホットミルクだ。
祐巳はその様子を微笑みながら眺めていた。
「あの…」
「ん?」
「見つめられると恥ずかしいんですけど…」
視線に絶えられずに瞳子ちゃんが非難してくる。
「だって貴重だもん」
そう言って、祐巳は両手の親指と人差し指で小さなフレームを作った。
髪を下ろし、祐巳のパジャマを着た瞳子ちゃんがちょっと長めの袖から指先だけ覗かせてカップを持っている姿がそこにあった。
髪を下ろすと雰囲気は志摩子さんのようだけど、志摩子さんが綺麗なら、瞳子ちゃんは可愛らしいといった感じ。
ちょっと上目づかいに見つめてくるしぐさが更に愛らしさを増している。
「蔦子さんが居たら絶対激写してるよ」
そう言って、えへへと笑う。
「そんな写真、すぐに破棄です」
「えー、私欲しいー」
プイと横を向いた頬がぽぽぽと赤くなる。
女優の顔をしていない時、瞳子ちゃんの表情は正直だ。
そう言って笑うと、
「今日の祐巳さまは意地悪です」
更にツンとされてしまったけれど、その声はどこか嬉しそうだった…。
部屋に戻った二人はどちらがベッドで寝るかでちょっともめた。
瞳子ちゃんが、私が床で寝ますと言い出したからだ。
けれど、祐巳が家主特権で強引に一緒にベッドで寝ようと諭すと、おとなしくうなずいてくれた。
嬉しくなって、祐巳は布団の中で手を繋いだ。
瞳子ちゃんは、「また祐巳さまは…」って文句を言ってきたけど、その手を振り払ったりはしなかった。
祐巳はえへへって笑って呟く。
「瞳子ちゃん、また遊びに来てね……」
返事はしばらくの沈黙の後。
小さな小さな声で、でもはっきりと。
「……は……い……」
Fin
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