[ご注意]
この作品は『プレデート・ハプニング』『例えばこんな放課後…』の続編にあたります。
先に上記のお話をご覧になってからお読み下さい。
最近すっかり板についてきた感のある祐巳さまの隣を歩くこと。
それは気恥ずかしくもあり、ちょっぴり嬉しいことでもあるのだけれど。
下級生はもちろん、上級生にも絶大な人気を誇る祐巳さま故、それを快く思わない人もいるわけで。
特に梅雨時のことを覚えている方々の中には…。
秋時雨 〜前編〜
その日は朝からどんより曇り空。
いくら元気な高校生とはいえ、演劇部と山百合会、宣言通りうまく両立させてはいても、そろそろ疲労もピークになってくる頃。
朝から多少微熱気味だったから、今日の用事は早めに済ませて帰宅しようと思っていた矢先、とうとう空が泣き出してしまった。
「もう、あと少し降らないでいてくれればよろしいのに」
瞳子は折りたたみ傘を出しながら、ふぅとため息をついた。
『風邪気味ですので今日は早めに帰宅させていただきます』
演劇部の方はお昼休みに部長へ、山百合会の方は乃梨子さんに伝言をお願いしたから、今日は真っ直ぐ昇降口へと向かう。
ほてほてと歩きながら、何故か思い出されるのは梅雨時のあの場面。
自分でも相当滅入っているなと思いながら角を曲がると、今日一番の厄介ものがそこに待っていた。
「ごきげんよう、松平瞳子さん」
丁度向こうも帰るところだったのだろう。
声をかけてきたのは、瞳子のことを快く思っていない祐巳さまファンの数人だった。
何故そんなことを知っているのかって、それはもちろん、面と向かって嫌味を言ってくる人達だったからで。
今日もフルネームで呼ぶあたりに、少々悪意が感じられる。
相手がそうくる以上、瞳子はもちろん戦闘態勢。
ちょっと頭痛がするけれど、そんなことは気にしちゃいられない。
「ごきげんよう、みなさま。私に何か御用でも?」
ふふんって感じに応じてみせる。
当然、その態度は相手にも伝わらないはずがないわけで。
それでもさすがお嬢様学園リリアンの生徒らしく、表面だけは穏やからに。
「まあ、さすがに祐巳さまの妹候補のお一人、余裕がおありのようで」
ご丁寧に『候補のお一人』あたりを強調してくださる。
「何か勘違いをなさっておいでのようですわね。私は山百合会のお手伝いをさせていただいているだけですのに」
いつもの嫌味だとわかった以上、律儀にお相手をしてあげる必要もなくなった。
もとより今日の瞳子にはそんな余裕はないのだから。
「それなら祐巳さまの周りをあまりちょろちょろなさらない方がよろしいのではなくて?」
「変な誤解をなさる方がいらっしゃらないとも限りませんし」
瞳子にいつもの迫力がないことを感じたのか、口々にそんな言葉を浴びせ掛けてきた。
「あら、そんな偏見をお持ちなのはどんな方なのかしら?」
だから精一杯の虚勢を張る。
「そ、そこまでおっしゃるからには、瞳子さんは祐巳さまの妹になるおつもりはないということですわね」
さすがにかちんときたのか、彼女達は顔を真っ赤にしてそう叫んだ。
「ご想像にお任せしますわ」
優雅に答えたつもりだったけれど、そこが限界だった。
疲れている上にちくちくと精神的ダメージを加えられるのは耐えがたい。
「あら、お逃げになるの?」
だから売り言葉に買い言葉。
「あー、もうしつこいですわね。祐巳さまが私をお選びになるはずないでしょう?」
「もしもということがありますわ」
「だったらその時は…」
「その時は?」
「じ、辞退すればよろしいのでしょう? ええ、私は祐巳さまの妹には相応しくありません。そうお答えすればよろしいのでしょう。急いでおりますの、そこをどいてくださいませ」
決死の形相でそう言いきり、彼女達の脇をすり抜けようとして瞳子は違和感に気づいた。
あれほどねちねちと嫌味を言っていたのに、すんなりと通してくれたのだ。
いや、別のことに気を取られていたというほうが正しい。
「瞳子ちゃん…」
名前を呼ぶ声の主が誰なのか、間違えるはずもない。
「祐巳…さ…ま…」
いつもの瞳子なら予測できたかもしれない。
乃梨子さんに託した伝言を聞いた祐巳さまが、瞳子のことを心配して昇降口にくるかもしれない。
それくらい、いつもの瞳子なら…。
けれど、今日の瞳子にはもうそんな余裕は残っていなかった。
先ほどの対決で使い果たしてしまっていたから。
不安げな祐巳さまの顔を見なくても分かる。
半分妬けになって叫んだから、聞こえていないはずはないのだ。
だから今の瞳子にできることは、この場を逃げ出すことだけだった。
「瞳子ちゃん」
あの時の祐巳さまはこんな気持ちだったのかな。
呼び止めようとする祐巳さまの声が遠くに聞こえる。
その声が祥子お姉さまの声と重なる。
秋雨の銀杏並木を駆け抜けながら、瞳子は昇降口という場所が心底嫌いになった。
「瞳子ちゃん」
駆け出しかけた祐巳を隣にいたおかっぱ髪の少女が制した。
「私が追いかけた方が早いですから。それに…」
その先は告げずに駆け出す乃梨子ちゃん。
それに、今は祐巳が追いかけても逆効果だろう。
「そうそう、祐巳さんには他にすることがあるでしょう?」
立ちすくむ少女達を射すくめるように、由乃さんがポキポキと指を鳴らす振りをする。
「そうだね……訳を話してくれるかな?」
つかみ掛からんばかりの由乃さんを押さえながら、祐巳は彼女達に問い掛けた。
視界が歪むのは熱のせいなのか、頬を濡らす雨のせいなのか?
決して涙のせいなんかじゃない。
だって瞳子は彼女達に勝ったのだから。
勝負に勝って、試合に負けたのだから。
滲む視界が最後に捕らえたのは黒と茶色の影。
それが何だったのか認識するよりも先に、瞳子はただ本能的にそこへ飛び込んでいった。
「瞳子ー」
校門まで出てみた乃梨子はしかし、瞳子を見つけることはできなかった。
体調が悪くても火事場の馬鹿力は人一倍。
もちろん、本人に向かって言うつもりはないけれど、松平瞳子はそういう子だと乃梨子は認識している。
だから逆に心配になる。
緊張の糸がぷつりと切れたときは、あっけなく崩れてしまう子だから。
バス停に誰もいないのを確認して、乃梨子は校内へと引き返す。
その後ろを一台のタクシーが走り去っていくことにも気づかずに。
To be continued ...
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