秋雨がしとしと降っている。
そんなに強くはないけれど、傘をさしていないとそれなりに濡れてしまう、そんな放課後。
例えばこんな放課後…
瞳子は一人で帰宅の途についていた。
今日は演劇部の練習があったので、山百合会のメンバーとは帰宅時間がずれてしまっていたのだった。
お気に入りの蒼いパラソルをさして銀杏並木をとことこ歩く。
雨に濡れた銀杏もどこか幻想的。ちょうど帰宅する生徒も疎らな時間だったのか、自分専用の黄色い絨毯の上を歩いているような、不思議な感覚。
くるくるとパラソルを回しながら、軽いステップを踏んでみる。
と、突然…。
「祐〜巳ちゃん、傘いれてちょ」
後ろから抱きつかれてしまった。
「きゃう?!」
思わず可愛い悲鳴をあげてしまう。
突然のセクハラ魔は頬にすりすりしたり、ぎゅっとしたり、瞳子の抱き心地を十分に堪能してから、おもむろにこう言った。
「なんか祐巳ちゃんと違う…」
そこで瞳子の堪忍袋の尾がプチンと切れた。
「聖さま、いい加減にしてくださいましっ!! わかってやってらっしゃるのでしょう?!」
「あれ〜、ばれちゃったぁ?」
ようやく瞳子を解放して、それでも両手はしっかり肩にかけられているのだけれど、ぺろりと舌を見せるのは、元白薔薇さまの佐藤聖さまだった。
「当たり前です。第一、どうやったら祐巳さまと私を間違うんですの?」
「だって、後ろから見たら祐巳ちゃんだと思うよ、この蒼いパラソル。楽しそうにくるくる廻してたし」
にまりと笑みを浮かべる聖さま。
う、祐巳さまと似たようなパラソルが欲しくて、ようやく見つけたものだってばれてしまったかしら? 聖さまはこういう勘はとても鋭い方だというし…。
瞳子はそんなことを考えていたのだけれど、聖さまはそれ以上パラソルについては触れず、代わりにとんでもないことをおっしゃった。
「それに雰囲気が祐巳ちゃんそっくりだったんだよね」
「わ、私と祐巳さまのど、どこがそんなに似ているとお、おっしゃるんですか?」
耳まで真っ赤にして抗議する瞳子を楽しげに眺めながら聖さまは呟いた。
「祐巳ちゃんのこと好きでしょう、そんなところ」
「な、何を…」
瞳子の反論を指先で制して聖さまはとどめの一言。
「百面相…いや、五十面相くらいかな」
そう言って、あははと笑った。
「わ、私は祐巳さまのことは、そう、嫌いじゃない、そ、それだけです」
微妙な言いまわし。祐巳さまならそれで煙に巻くこともできるのだけれど、聖さまはその点、単純思考だったりして。
「それって好きってことじゃない」
にんまりされてしまう。
「……」
沈黙した瞳子をひとしきり笑った後、聖さまは肩を抱いて、さあ帰りましょうと促すのだった。
バスの中は結構空いていた。
二人がけの席に並んで座る。というよりは、瞳子の座った席の隣に聖さまが座ってきたのだけれど。
フンフンとどこか楽しげな聖さまに、少し居心地の悪さを感じ、瞳子は思い切って尋ねてみることにした。
「聖さま…」
「なぁに?」
「いったい、何を企んでいらっしゃいますの?」
「何も…」
口ではそう言う聖さまだけれど、突然背中を丸めて、くくくと笑い出されるとますます訝しんでしまう。
「いいえ、そんなことはありません。きっと何か企んでいるに違いありません」
上目遣いにそう凄んでみせるのだけれど、聖さまは何がそんなに壷にはまったのか、けらけらと笑い転げ、とうとう最後まで答えを聞かせてはもらえなかった。
「あはは、祐巳ちゃん、最高…」
その呟き以外…。
M駅で、「またね、瞳子ちゃん。今日はありがとね」、そう満足げに言って、聖さまは商店街の方へと消えていった。
ようやく解放された瞳子は、はぁ〜と深いため息をついた。
「いったいなんだったのですの?」
そう呟いて歩き出した。
……つもりだったのだけれど……。
いきなり左右から伸びてきた四本の腕にぎゅっと抱きしめられてしまう。
「きゃう?!」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
またですの、今日はなんて日なんでしょう、とため息をつく瞳子の頭上でなにやら視線が行き交う。
今はこの状況をなんとかしたいのだけれど、何故か抱きしめられる力が徐々に強くなっているのは気のせいではない……と思う。
「あら、江利子、ごきげんよう」
「蓉子じゃない、こんなところで出会うなんて奇遇ね」
視線の勝負から言葉の勝負になったので、ようやく自分を抱きしめている人物に思い当たった。
確か蓉子さまは祥子お姉さまのお姉さまで、元紅薔薇さまの水野蓉子さま。江利子さまは、そこからたどれば元黄薔薇さまの鳥居江利子さまだろう。
何故二人が左右から瞳子を抱きしめているのか、その訳はわからないままだけれど。
そんなことを考えていると頭上協議がまとまったのか、左右からの戒めが解かれ、二人が瞳子の前に並んだ。
「ごきげんよう、瞳子ちゃん。これからお時間いただける?」
「おいしいケーキのお店があるの。おごるからちょっとお茶していきましょう」
そう言うなり、有無を言わせぬように左右の手をとられ、引きずるように近くの喫茶店へ連行されてしまった。
ケーキのおいしいお店というのはあながち嘘ではなかったようだ。それどころか漂う紅茶の香りも賞賛にあたいする。
店内は、学生やOLでほぼ満席状態。よく席が空いていたなぁと思う瞳子で……空いていた、のではなくて、今までここにいらっしゃったということ?
運ばれてきたケーキセットと目の前のお二方を交互に眺めつつ、瞳子はそんなことを考えていた。
蓉子さまと江利子さまはそんな瞳子をニコニコ顔で眺めつつ、さあ食べて、おいしいわよ、なんて言っている。
怪しい……。
聖さまもそうだったけれど、このお二方の行動も何か裏がある気がしてならない。
だから、瞳子は思い切って尋ねてみる。
「あの…」
「「なぁに?」」
「いったい、何を企んでいらっしゃいますの?」
「「……」」
一瞬の沈黙の後、お二方はキャーと目を><←こんな形にして喜び出した。
その上。
「瞳子ちゃん、よく聞こえなかったの。もう一回言ってくれない?」
なんてあからさまなリクエストをしてくる。
何がそんなに面白いのか、少し上目遣いに凄んで聞いてみる。
「蓉子さま、江利子さま、いったい何を企んでいらっしゃいますの?」
返事は……なかった。
お二方は、もう薔薇様の威厳なんかかけらも見られない、ファンの子が見たら幻滅するのではないかと思うほど、ケラケラと笑い転げている。
「祐巳ちゃん、最高…」
その謎の呟きを残して…。
「……ということがあったのですわ!!」
思いっきり不満な顔をして瞳子が睨むその先にいるのは、紅薔薇のつぼみ。
そう、昨日三人の元薔薇さま方が発した謎の言葉、「祐巳ちゃん、最高…」、その人物はこの方を置いて他にない。
「祐巳さま、いったいぜんたい、何を企んでいらっしゃいますの?」
凄んで祐巳に詰め寄る瞳子だったが、くすくすと薔薇の館に響く笑い声に毒気を抜かれてしまう。
そう、いかにも「あちゃー、まずいなー」って顔をしている祐巳さま以外のメンバーはみんなくすくすと笑っているのである。
「祐巳ちゃん、最高…」
黄薔薇さまがそう呟く。
「祐巳さま!!」
「は…い…」
「説明してくださいます?」
観念したように祐巳さまが呟く。
「一昨日、聖さまに会ったのね。久しぶりに抱きつかれたものだから、もう、抱きつくなら瞳子ちゃんの方がふわんって感じで暖かくて、その上、『きゃう?!』なんて可愛い悲鳴をあげてくれるから楽しいですよ……って言っちゃって……」
怒りにわなわなと震える瞳子を上目遣いに恐々見ながら、祐巳さまは先を続ける。
「それに、口癖が可愛いんですよって、言っちゃった。ちょっと上目遣いで『何を企んでいらっしゃいますの?』って凄んでくるのが可愛くってって……」
「祐巳さま!!」
「ごめんね、瞳子ちゃん」
ひゃうって頭を抱える祐巳さまに駆け寄ろうとした瞳子を、誰かが後ろからぎゅっと抱きしめる。
「きゃう?!」
「あら、ほんと。祐巳の言うとおりね」
「さ、祥子「お姉さまぁ?!」」
祐巳と瞳子の声が重なる。
瞳子を後ろから抱きしめたセクハラ魔の正体は、誰あろう、紅薔薇さまこと、小笠原祥子さまその人。
「瞳子ちゃん、祐巳を怒らないでやって」
「で、でも…」
釈然としない瞳子に祥子さまは更に呟く。
「それに……」
瞳子の顔がみるみる真っ赤になる。そう、耳まで真っ赤。
その様子に満足したのか、祥子さまはふふふと笑みを浮かべて、瞳子の戒めを解いた。
「それに……お姉さま方は、祐巳の妹になる娘を見にいらっしゃっただけなのだから……」
Fin
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