未だ夏の暑さが残るとある日。特にこれといった用事もなかった祐巳は気晴らしにK駅へお出かけすることにした。
お気に入りの店等を見てまわり、いくつかの小物を買って店を出ると、通りの向こうから特徴的な縦ロールをした子がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
プレ・デート・ハプニング
「瞳子ちゃん…」
私服の瞳子ちゃんを見ることは滅多にないけれど、今日は白いワンピース姿。
それは、祥子さまの別荘に行ったとき、祐巳が着ていたのとよく似たデザインのものだった。
祐巳に気づいた瞳子ちゃんは、傍までやってくると。
「ごきげんよう、祐巳さま」
とご挨拶をしてきた。
「ごきげんよう、瞳子ちゃん。今日は一人でお買い物?」
「はい、そんなところですわ。祐巳さまもお買い物ですの?」
「ちょっと気晴らしも含めてね。あ、折角会ったのだから…」
お茶でもしようかと言いかけて、祐巳は瞳子ちゃんが祐巳の後ろの方を見つめていることに気がついた。
「瞳子ちゃん?」
「弓子さま…」
祐巳が聞くより早く、瞳子ちゃんはそう呟くと駆け出していた。
「えっえっえっ?」
突然の出来事に少しパニックになりながらも祐巳はその後を追いかけた。
こういうときの瞳子ちゃんは素早い。ワンピースなのに人込みを縫うように駆け抜ける。一方の祐巳は相変わらず平均的というかなんというか、人を避けるだけでふらふら。とても駆けるなんて出来るはずもない。
子猫を追いかける子狸といったら酷いって言われそうだけど、そんな感じ。
人込みの中に見え隠れするばねのような縦ロールを見失わないようにするだけで精一杯だった。
その縦ロールが不意に視界から消えて、代わりに白い日傘が現れる。
瞳子ちゃんがそこに居る人に駆けより、屈みこんだせいだった。
「弓子さん…」
祐巳がようやく追いついたそこには、加東景さんの大家さんである池上弓子さんがいらした。ちょっと憮然としていた表情が祐巳を見かけるとぱあと華やいだようにみえる。
「あら、祐巳さん」
どうして、と言いかけた祐巳を瞳子ちゃんが制した。
「祐巳さま、とりえあず弓子さまをあちらへ」
通りの脇にある少しひらけた場所を指し示すと、自分は弓子さんの荷物をよいしょと抱えた。
「あ、うん、そうだね。弓子さん、こちらへ」
「ありがとう、祐巳さん」
祐巳に手を引かれ、ようやく弓子さんは通りの真中から抜け出したのだった。
「ありがとう、祐巳さんが来てくれて助かったわ」
公園のベンチにちょこんと腰掛けて弓子さんが微笑む。
「お怪我がなくて何よりでした。それと、弓子さんを見つけたのは瞳子ちゃんなんですよ」
その瞳子ちゃんは破けてしまった荷物袋の代わりをもらいに行っている。
弓子さんがお店の名前を告げると、お店の方を知っているらしく、代わりの袋をもらってきますからと駆けて行ってしまったのだ。
「しっかりした子ね。祐巳さんの妹さん?」
この場合の妹とはもちろん、リリアンの姉妹という意味なのだけれど。
「あ、えっと…」
祐巳はどう答えていいか分からず、口篭もってしまった。
「祐巳さまには親しくさせていただいてますが、妹ではありませんわ」
いつの間に戻ってきたのか、瞳子ちゃんは躊躇せずにそう答えた。
「あら? お似合いなのに…」
「祐巳さまは紅薔薇のつぼみでいらっしゃいますから、いろいろとお悩みなのでしょう」
荷物をお移ししてもよろしいですか、ともらってきた代わりの袋をひろげながらそんなことを言ってくれる。
「ふふ、でも祐巳さんのことお好きなのでしょう?」
「え、ええ、大好きですわ。祐巳さまは一年生憧れのお姉さまですし、嫌いな方なんていらっしゃらないと思いますわ」
いきなり核心を突いてくる弓子さん。少しどもりながらも何とか切り抜ける自称女優。
第三者の立場で見ていられるのなら、どんなに良かっただろうと思うのだけれど、祐巳は二人の言葉に翻弄されるだけだった。
「ふふ、可愛い方ね」
そう言って弓子さんは微笑んだ。
「ねえ、祐巳さんはどうなの?」
「へっ?!」
いきなり振られて、いつもの間の抜けた受け答えをしてしまう。
「祐巳さま…」
隣でため息をつく瞳子ちゃんを少し恨めしく思いながら。
「わ、私も瞳子ちゃんのこと大好きですよ」
少し顔を赤くしながら答えると。
「それなら問題ないじゃない、早くロザリオを渡しておあげなさい。長い間、期待させるのは可哀相よ」
弓子さんは、そんなことを言って二人をドキドキさせるのだった。
「ありがとう、お話できて楽しかったわ」
車から降りると弓子さんは微笑んでそう告げた。
雲行きが怪しくなってきたので、二人は瞳子ちゃんが乗ってきていた松平家の車で弓子さんをお宅までお送りすることにした。
「私達も弓子さんとお話できて楽しかったです」
二人ではもって答えると、弓子さんはまぁと笑った。
「今度は二人で遊びにいらしてね、美味しいお茶を用意しておくわ」
またも二人揃ってはいと答えると、弓子さんはあらあらと笑いながら門の中へ入って行く。
「そうそう、瞳子さん」
何かを思い出したように振り返って、瞳子ちゃんに呼びかける。
「はい、弓子さま?」
「そう、それ。私のことは弓子さんって呼んでね、私もあなたのことを瞳子さんって呼ぶから」
「はい、ありがとうございます、弓子さん」
「ごきげんよう、祐巳さん、瞳子さん」
「ごきげんよう」
門の奥へ消えていく姿を見送ってから二人は顔を見合わせる。
「瞳子ちゃんも弓子さんに気に入られちゃったね」
笑ってそう言うと。
「何か変な誤解をされてしまったからではないですか?」
ぷぃと横を向いてそんなことを言ってくれる。
「あー、その言い方、可愛くないなぁ」
「可愛くなくて結構です」
瞳子ちゃんがぷぅと頬を膨らませたところで雨がポツリ。
折角のじゃれあいもそこで休戦とあいなったのでした。
お気に入りとなった白いワンピースをクローゼットにしまう。
今日はじめて袖を通したそれは、素敵なハプニングを連れてきてくれた。
「祐巳さま…」
机の上に飾られた写真立てに向かってポツリと呟く。
弓子さんの前では素直な後輩を演じている。
きっと祐巳さまはそう誤解しているはずだから、素直に言えた台詞。
いつか自分の言葉で言うことができるだろうか?
まだ少し怖いから、今は写真に向かって。
「瞳子は祐巳さまのことが大好きです…」
Fin
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