「どうして分かったんですか?」
道すがら、瞳子は祐巳に問いかけた。
「ああ、ミルクホールのこと?」
「はい…」
「うーん、何となくかな」
「何となくぅ?」
怪訝そうに尋ねると、祐巳さまは微笑んで。
「三時間目と四時間目の休み時間に乃梨子ちゃんと話してるところ、瞳子ちゃん見てたでしょ? だから教室には残らないって思った…」
「どうして見てたって思うんです?」
「それも何となく…瞳子ちゃんだったらきっと隠れて見てるって思ったの…。あとは…」
「あとは?」
祐巳さまはちょっと面白そうに微笑んで、瞳子の右手を、正確には瞳子の右手に握られているいちご牛乳のパックを指差した。
「いつも買ってるでしょ…」
夕暮れ気分 〜後編〜
連れて来られたのは講堂の裏手だった。
銀杏並木が風に吹かれ、爽やかな雰囲気をかもしだしている。
「銀杏を踏まないでね」
コンクリートの段に二人並んで腰を降ろすと、祐巳さまはお弁当をひろげた。
仕方なしに、瞳子も持ってきたお弁当の包みを解く。
秋風が頬をなでた。
見上げると、日差しが銀杏の葉の隙間からキラキラとこぼれてくる。
「志摩子さんのお気に入りの場所なんだ…」
そういえば、この場所には見覚えがあった。
春先、乃梨子さんと白薔薇さまがこっそり会っていた場所。
あの時は桜の花びらが舞って幻想的だったけれど、今はまた違った様相を見せている。
そんな景色に瞳子が少し落ちついてきた頃、祐巳さまはゆっくりと語りだした。
「あの後…思い出してたの。瞳子ちゃんに出会ってからいろんなことがあったなぁって…。そして考えたの。あの時…あの時……瞳子ちゃんはどんな想いで私に接してきたんだろうって…」
祐巳さまはちょっと銀杏並木を見やり、言葉を継いだ。
「そこにね…」
くすりと笑う。
「昨日聞いた言葉を当てはめたら、断片的だった事が……うーんと、そう、ジグソーパズル」
「ジグソーパズル?」
突然話が飛んで、瞳子は目をぱちくりさせる。
「ジグソーパズルって、いくら考えても一個もピースがはまらない時があるのに、何か一つぴたってはまると、他のピースが面白いようにはまる事があるの」
「はあ…」
「昨日の瞳子ちゃんの言葉は、私にとって、その最初にはまったピースみたいだったなって。そこからいろんな事がぴたっぴたって思い当たってきたんだ…」
そう言って、嬉しそうに微笑む。
「でもそれは祐巳さまの思い込みなんじゃないですか?」
「本当にそう思う?」
ちょっと悔しくて皮肉を言ったら、いきなり視線を振られた。
真剣に見つめる瞳はどこまでも深くて、心の中まで見透かされそう。
見つめ返せるわけがない。
瞳子の負けは最初から決まっていた。
「これが答え…」
俯く瞳子に、にっこりと微笑む祐巳さま。
「うぬぼれてますね」
精一杯の反撃。でも…。
「うぬぼれていいんでしょ?」
あっさり切り返される。
沈黙する瞳子を優しげに見つめて、祐巳さまは話を続けた。
「でも嬉しかったなぁ…。瞳子ちゃんの毒舌にも免疫ができてきたなぁって思ってたけれど、それが私のこと思って言っててくれたんだってわかって…」
「そ、そんなこと…」
言いかけてとどまる。
祐巳さまが悲しげな視線を向けたから。
「もう逃げるのやめよう、瞳子ちゃん」
「逃げてなんか…」
視線を外して呟く。
「舞台を降りても演技し続けるのって何だか悲しいよ。それに…」
「それに?」
「…このままずっと演技し続けるつもり? そんな瞳子ちゃん、私もう見たくないよ…」
ふいに風が吹いた。舞い上げられた銀杏の葉が辺りに降り注ぐ。
「……して、どうして私のことそこまで気にするんですか? ほっといてくれれば……いい……のに……」
いつの間にか瞳子は祐巳さまに背を向けて立ち上がっていた。
「ほっとけないよ。だって…」
肩口からすっと手が伸びてきて、優しく抱きしめられる。
「私も瞳子ちゃんのこと大好きだから…」
耳元にささやかれた言葉は風の音色のようだった。
ぽろっ…ぽろっ…。
瞳子の頬を大粒の涙が伝う。
聞きたかった、けれど決して聞くことはないと思っていた言葉が、心の中に反響していく。
「う…うわぁーん」
瞳子は振り返ると、祐巳さまの胸に飛び込み、声をあげて泣いていた。
軽く握ったこぶしでぽかぽかと肩口を叩く。
それはあたかも小さな迷子が、ようやく見つけた母親を責めるかのように…。
「よしよし」
祐巳さまはそんな瞳子を胸に抱いたまま、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。
赤子をあやすように、瞳子の鼓動に合わせて、ゆっくりと…。
「気づいてあげられなくてごめんね…」
そう呟きながら…。
「本当はね…」
瞳子ちゃんが落ちつくのを待ってから、祐巳は再び話はじめた。
「瞳子ちゃんのことが気がかりでこんなことしちゃったけれど、私の方はまだ心の準備ができてないんだ…」
腕の中で肩がぴくんと跳ねるように動く。
あ、怒ってるかなぁ。
でも、いくら相手が瞳子ちゃんだからって、昨日の今日ではい、そうですかって言えるわけもない。
「だから…」
今日本当に伝えたかったことを。
「私にもう少し時間をくれないかな? 瞳子ちゃんとのこと、真剣に考えたいの…」
雰囲気にのせられちゃいけないって思うし、本当はまだ少し不安だってある。
そんな祐巳の心情を察してくれたのか、腕の中で瞳子ちゃんがこくんと肯いたような感触があった。
「ありがとう、わかってくれて…」
背中をぽんぽんと叩いてあげると、安心したのか、ぎゅってしがみついていた力がふっと緩んだようだった…。
夕焼けの銀杏並木を今日も二人して歩く。
結局、5時間目に遅刻した二人は、祥子さまに罰として館の掃除を言い渡され、こんな時間になってしまったのだった。
「祐巳さま…」
大泣きしてしまったのが恥ずかしいのか、ちょっと俯きかげんに瞳子が問いかける。
「なあに?」
「昨日、私、何を口走ってしまったのでしょう?」
「へっ?! 覚えて…ない…の?」
「……はい……」
真っ赤になって答えると、ちょっと意地悪そうな瞳で祐巳さまが微笑んだ。
「知りたい?」
うう、ほんとに意地悪…。
それでも気になるから、素直にはいと答えると、満足したのか笑顔を見せて。
「私がね、『瞳子ちゃんのお姉さまになる人はどんな人かな?』って尋ねたら…」
「…尋ねたら?」
瞳子がこくんと喉をならす。
「…やっぱり内緒」
そう言って背を向ける。
「そんなぁ」
非難がましく訴えると、祐巳さまは、えへへって笑って、すぅっと息を吸い込んだ。
そして…。
「マリア様のこころ それは山百合〜♪」
歌いながら、軽くステップを踏んでいく。
少し距離を置いて振り向くと。
「分かった?」
にっこりと微笑む。
その背景に夕日が差し込んで、きらきらと輝いて見えた。
ふと、乃梨子さんが白薔薇さまのことを、桜の中に佇むマリア様みたいだったって言っていたのを思い出した。
あの頃はちゃかしてしまったけれど、今の瞳子なら間違いなく、そうだねって言える。
光の羽をまとった祐巳さまは、そう、まるで『天使さま』のようであったから…。
「そっか…」
その言葉を思い出してちょっと苦笑い。
でも今日は別の言葉を。少し早いけれど…。
「お・ね・え・さ・ま」
誰にも聞こえないように口の中で呟いて、瞳子はその腕の中に飛び込んで行った…。
エピローグ
夕日の舞台でじゃれあう二人を見つめる影二つ…。
「お姉さま、私、今日部室の掃除当番でよかった…」
そう呟く妹に、桂さんは笑いながら答えた。
「そうね、私も祐巳さんのソロって初めて聴いたもの」
「でも、あの、お二人はまだ姉妹になられていないのですよね…」
「そうだね、でも…」
そんなことを考える必要はないんじゃないかって思える。
「本物の姉妹以上にお似合いなんだから…」
オレンジ色の光の中、笑顔でじゃれあう二人の写真。
祥子はそれをしばらく愛しそうに眺めていた。
「ふふ」
満足げに微笑むとそれをアルバムの一ページにおさめた。
指の先でその写真をちょんとはじいてからアルバムを閉じる。
マーブル模様が表紙の小さなフォトアルバムは大切に机の引出しにしまわれていった…。
Fin
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