小夜曲
〜 Side Story 〜




 先日あんなことがあったから、週末の今日こそはと思い、薔薇の館を訪れたのだけれど、二階の窓が開いているところを見ると、どうやら先客がいるらしい。
 かといって、ここで引き返すのも何だか勺だったので、祥子は扉を開いて館の中へ入って行った。


 祐巳がいない


 ビスケットの扉を開くと、心地よい秋風が頬をなでる。
部屋の中はついさっきまで誰かがそこにいたように錯覚してしまう、そんな雰囲気を漂わせていた。
「祐巳?…」
 思わずそこに居るはずのない妹の名を口にしてしまう。
 その声にはじめて気配が動いた。
窓際に座っていた人物はそれほど部屋の景色に溶け込んでいた。
「祥……紅薔薇さま……」
 抑揚のない声。何も映していないような瞳が祥子に向けられる。
 でもそれは一瞬のことで。
「ごきげんよう、紅薔薇さま。あ、今紅茶をお入れしますね」
 いつもの元気な笑顔をみせて、瞳子ちゃんは流しへと向かった。
「ごきげんよう、瞳子ちゃん」
 心の動揺を感じさせない完璧な笑みを浮かべて祥子は答えた。
 いつもの席に腰を下ろし、舞台劇の台本を取り出して開く。
 きちんとした手順を踏んで入れてくれているのだろう。
程なく心地よい香りが室内に漂ってきた。
「お待たせしました」
 カチャリと視界の隅にティーカップが差し出される。
「ありがとう」
 微笑んでお礼を言うと、瞳子ちゃんはどういたしましてと軽く笑みを浮かべ、窓辺の椅子へと戻っていった。
そしてまた青い空を見上げ、物憂げな表情になる。
「……寂しい?」
 沈黙が気になってそう問い掛けてみると。
「……そうですね……」
 一呼吸置いて返事が返ってきた。
「普段は会えなくても、学園内にいるって分かってたから……」
「そうね」
 ……………
「どこでもドアがあればいいのに……」
 そんな呟きが聞こえ、フフフと笑いながら「そうね……」と相槌をうった。
 それっきり、瞳子ちゃんの気配は感じられなくなった。

 祥子の望んでいた穏やかな時間。
秋風が起こす葉擦れの音と、台本のページを捲る音がたまに響くだけの室内。
 どれくらい時間が経ったのだろう。
少なくともティーカップの紅茶はもう冷めてしまっていた。
チェックを終えた台本を閉じて軽く伸びをする。
 そして、ゆっくりと口を開いた。
「……あの時の事……まだ……気にしていて?」
 しばらくの沈黙の後、衣擦れの音がして気配が戻ってきた。
でも期待した答えはなくて。
「この頃……私に向けられる笑顔に……泣き顔がダブらなくなってきたんです」
 少し涙声。
「そう……」
 まだ少し空元気を装っているけれど、どこか嬉しそうな響き。
その声にちょっとだけほっとした気がする祥子だった。

 あの日……。
 瞳子ちゃんを呼んで、全ての経緯を話した。
 俯いたまま祥子の話を聞き終えた彼女は。
『ひどい……酷すぎます、祥子お姉さま!!』
 そう祥子を批難した後で、大粒の涙をぽろぽろと零した。
『……でも……もっと酷いのは……私』
 泣き崩れた彼女を抱きしめて。
『ごめんなさい、あなたを巻き込んでしまって……』
 二人で泣き明かした夜……。

 真っ直ぐに向けられる笑顔が辛いと、薔薇の館に来ることをやめた彼女。
時間はかかったけれど、それでもまたここへ通うようになって。
耳を赤くしながらも二人がじゃれあっているところを見かけるたび笑みがこぼれる。
 時間と、あの娘の無邪気な笑顔が、彼女の傷ついた心を癒してくれているのだろう……と。

 夕焼け空に飛行機雲がひとつ。明日は土曜日。
 二人の待つ想い人はもう機上の人となっているだろうか。
「そろそろ帰りましょうか」
「はい、紅薔薇さま」
「二人の時は、祥子お姉さまでいいわよ」
 微笑んで視線を向けると。
「はい……祥子…お姉さま」
 少し照れながら、それでもにっこりと微笑みを返してくれる。
 祥子はそんな瞳子ちゃんの笑顔を久しぶりに見た気がした。
リリアンで一緒に過ごせる時間は限られているけれど、彼女の笑顔はこの先もっと見かける機会が増えるはず。
 だから祥子は心配していない。
 その時はもう間もなく訪れるだろうから。

 Fin


 あとがき
 今日が「チャオ、ソレッラ」のネタバレ解禁日とかで。
あちこちのサイトでネタバレSSがアップされてるみたいだったので、私も書いてみました、「紅薔薇のつぼみの不在」、瞳子バージョン。
タイトルも「称号」が「不在」みたいで、何か人間味が感じられなかったので、変えてみました。
ぱっと思いついたのがこれなんですがありきたりだったでしょうか?
もちろんBGMはあの曲ということで。
 裏設定については、「子羊たちの休暇」での祥子さまの台詞、「あの子はだめよ」にちょっと違和感を感じていたので、こんな理由付けをしてみました。
だからカナダ旅行云々は確証はないけど、よく行っているから、とっさに思いついたものじゃないかな、なんて思ってたりします。
 それではまた…

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