「はぁ…」とためいきひとつ。
ここは高等部からは少し離れた、大学部の敷地に属する噴水前の広場。
秋の晴れ間をねらってくつろぐ大学生の姿もちらほらと見受けられる。
その中に高等部の制服を纏った少女がひとり。
ベンチの端っこにちょこんと腰かけてためいきをついている。
りんごがふたつ?
「はぁ…」
ためいきをつく度、特徴的な縦ロールがびょーんと弾む。
「どうしたの? たそがれちゃって…」
声に気づいて顔をあげると、いつからいたのか、見覚えのある顔がそこにあった。
「聖さま……ごきげんよう……」
「はい、ごきげんよう、瞳子ちゃん」
最初の問いの答えを期待しているのか、聖さまは「何かあったの?」って顔で瞳子の方を見ている。
「べ、別に、たいしたことではありませんわ」
「ふーん…」
あ、疑いの眼差し。
「さしずめ、この時期の悩みと言えば…山百合会の舞台劇とか…」
どきん。
さすが聖さま、鋭い読みですわ。
でも山百合会の舞台劇のことはまだ口外はできませんし、やっぱりここは。
「ご、ご想像にお任せしますわ」
にっこり笑って言ったつもりだったけど、ちょっとどもってしまった。
聖さまはニンマリとすると、「じゃあ、勝手に想像しちゃおっかな」と想像を巡らせはじめてしまった。
「瞳子ちゃんは演劇部だったよね。という事は、配役云々の問題じゃないね。あとは…」
あ、何かに思い当たった顔してる。
「やっぱり祐巳ちゃんとの絡みかな。シリアスシーンで『お姉さま…』なんて台詞があるとか」
ずばり、言い当てられてしまった。
「そ、そんなことありませんわ」
「瞳子ちゃん、耳赤いよ」
「……」
沈黙は肯定なわけで、聖さまはあははと声をあげて笑った。
そんなにつぼに嵌ったのかって思うくらい豪快に。
瞳子がくやしくてうーって唸っていると、笑い疲れたのか、聖さまはすぐに優しげな表情を浮かべた。
「いい機会じゃない、舞台にかこつけて本音を言っちゃったら?」
なんて、トンでもないアドバイスをしてくれる。
「それが出来れば、こんなところでたそがれてたりしませんわ」
天邪鬼でいじっぱり。
それが祐巳さまを前にしたときの瞳子のスタイルなのだから。
「じゃあ、練習するしかないでしょう」
聖さまは立ち上がると、うーんと伸びをした。
「はい、瞳子ちゃんも立って、立って」
どうやら演技指導をして下さるおつもりのようです。
「相手の目を真っ直ぐ見ちゃうとあがっちゃうからね。ちょっと俯きかげんで。うん、そんな感じ。手は…そうだね、胸の前で指先を絡めるといいかな。じゃあ、ちょっとやってみて」
「あ、はい」
なんか聖さまのペースにはまっている気がするけれど、指導してくださっているのだから無下に断ることもできず。
はぁとため息をついて、瞳子は演技をはじめた。
感情を込めるため少し間を置いて、俯いた状態から少しづつ顔をあげながら。
「お姉さま…」
…って、聖さまと目が会っちゃった。
なんといってもお美しい方だから、ちょっとドキドキしてしまう。
「さすが女優さん、つぼは心得てるね」
聖さまは満足そうに微笑んだ。
「でも、まだちょっと表情が固いかな。うーんと、そうだ。俯くよりは伏し目がちの方がいいね」
ちょうど西日になってきたので、聖さまはポンと手を叩いて、太陽に背を向けるように立ち位置を変更した。
なるほど、逆光でシルエット風にしようってことですわね。
ここまでお膳立てされると女優の血が騒ぎます。聖さまもびっくりのシーンを演じてごらんにいれようじゃありませんか。
何故か妙に気合が入ってる。
ふぅーと息を吐き、胸の前で指を絡めながら伏し目がちに目を閉じる。
感情を高め、そこに大切な人が立っているシーンを頭に思い描き、睫に少しだけ涙を溜めて……。
周りのざわめきが消えていく。
軽く一つ深呼吸をして、瞳子は心の中でカチンコを鳴らした。
アクション…。
ゆっくりと顔を上げながら、
「…お姉さま…」
「……へっ?」
「……え?」
チクタク、チクタク、 ・ ・ ・ ・・・……ボッ!!
目の前に立っている、おそらくは聖さまと違う、シルエットの人物に思い当たって、瞳子の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
慌てて顔を伏せたけど、そこから動くことは出来なかった。
「…え、…え…っと…と…と、瞳子…ちゃん…?…」
目の前の人物、祐巳さまも焦っているのか小鳥を追っているのかわからないほどうろたえている。
二人で真っ赤な顔をして向かい合っているのだから、傍目に見ればこれほどこっけいな様はないですわ……ね……えっ?
そういえば、ここは大学部敷地内の噴水前広場。
聖さまと話してたときも結構な人がいたわけで。
それなのに、演技をはじめた頃からざわめきが聞こえなくて。
それはやっぱり……。
ぷー!!
誰かが吹き出したのを合図に、周りに集まっていた観衆が一斉に声をあげた。
笑っている人もいれば、拍手をしてくれる人もいる。
その中で一際目立っているのはもちろん、二人を指差して大笑いしている彼のお方。
「せ・い・さ・ま・−」
はめられたことへの怒りと恥ずかしさでふるふると震えていると、いきなりぎゅっと抱きしめられてしまった。
途端にボボボと上がる頬の温度。
「ゆゆゆ祐巳さま……」
「……うれ…し……」
あー、もう、どうしてこの方はこういう状況でこんな行動が取れるのでしょう。
呆れて、怒りも恥ずかしさもどこかへ吹き飛んでしまった。
『いい機会じゃない、舞台にかこつけて本音を言っちゃったら?』
頭の中で聖さまの言葉がリフレインする。
「こうなったら破れかぶれですわ」
そう呟いて、瞳子は両手をすっと祐巳さまの背中に回した。
それに気づいたのか、祐巳さまがへへって微笑みながら、瞳子をぎゅって抱きしめる。
歓声が一段と高くなった。
「一年椿組、松平瞳子さん」
翌日、廊下を歩いているところで瞳子は声をかけられた。
「あ、蔦子さま。ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。時に瞳子さん、少々お話があるのだけどよろしいかしら?」
眼鏡のフレームが怪しく光った気がして、瞳子はちょっと身構えた。
「聞かなくても、蔦子さまのお話の内容は一つしかないのでは?」
「それは話が早い」
そう言って、蔦子さまは三枚の写真を瞳子に差し出した。
昨日あれだけ大騒ぎしてたのだから蔦子さまが見逃すはずはないと思っていたけれど。
実際に見せられた写真はもう、「あなたどこで撮ってらしたのですか?」と肩をガクガク揺すりたいくらい。
中でも真ん中の一枚は、恥ずかしさで顔を真っ赤にした二人がうつむきかげんに向かい合っているもので。
「それは傑作でしょう。タイトルはさしずめ『りんごがふたつ?』」
思い出の写真だからとても欲しいのだけれど…。
「……パネル展示…ですか?」
「パネル展示です」
がっくりと肩を落とす瞳子に、「祐巳さんの許可はもうもらってあるから」と言って、蔦子さんは去って行った。
Fin
|